大川小学校の訴訟

2011年に起きた東日本大震災。学校組織の問題提起となった大川小学校問題。
今朝のニュースで、遺族側の勝訴とありました。
びっくりしたのはニュース記事のコメント。多くの意見が否定的だったこと。
「遺族の気持ちは解るが14億もの賠償金で解決すること」に疑問を感じる人が多いよう。
「そんな事まで責任を追わせたら子どもを預かる学校も塾も人もやってられない…」
親兄弟を亡くしている人からのコメントにも「被災者ビジネス」「結局、カネ」という意見もたくさんありました。

震災を経験した私自身が感じる部分は少し違った。

一番に「命」はお金があっても戻ってこないわけで、遺族としてはお金の問題よりも、空白の時間の解明だったと思う。ある程度アドバイスしてきているのは弁護士だと思うので、その色が出た結果だったのかなぁと思います。ただ予想以上の賠償金に世論がひっくり返り、訴えた遺族の方々はこれからが大変だと思う。
同じく大川小学校で亡くなった遺族の半分以上の方はメンバーに加わっていないことからすると、現場では温度差もあるのだろうなぁと思います。

当時、小学校に迎えにいった親御さんは助かった人が多かった部分からすると、私は学校防災対策と共に、今の会社の働き方や防災視点をもっと強化していくべきだと思う。
遺族の批判がすごくなっていますが、早期に迎えにいくことができるような会社の雰囲気つくりが、この裁判をきっかけに活発してほしい。私の会社では災害時には、仕事を止めてでも、家庭を優先にするありかたをとっています。あのとき、仕事の途中であっても子供たちを迎えにいける会社のシステムがあり、学校に行ける家族(大人)が多ければ、教員サイドともっとコミュニケーションがとれていたと思いますし、学校側の責任だけで終わらなかったと思います。

冷静に判断できる大人や親がもっともっと学校に集まって「逃げる」という決断をできていれば、大川小学校の悲劇ももう少し軽減されていたかもしれないと思うと、本当に悲しい出来事と思えます。

亡くなった教員を含めて「断罪」という言葉が出る今回の裁判。
遺族からすると、もはや肉声を聞くこともない亡くなった教員と闘わないといけない悲劇。
教員側の遺族の辛さ…。
色々なことを考えてしまいます。
あのとき、教員とたくさんの家族がコミュニケーションをとれていれば…。
勝訴に対しての批判が多かった今回の裁判。本当に考えさせられます。


亡くなったこどもたちの命は戻らない…。遺族のお父さんお母さんは一生この辛さを背負い続けると思います。同じ年頃の子を持つ親として、本当に辛いことです。この悲劇が繰り返さないためにも社会や会社組織が変わっていかないといけないのだと思います。大企業含め、会社の防災システムはまだまだ不備が多すぎるように思います。

阪神大震災の経験が東日本大震災で活かされなかった部分のひとつ。
東日本大震災の経験が次に活かされていくことを切に願います。

熊本地震ボラで学んだこと

今回は社会福祉協議会でもお世話になりましたが、印象に残ったのは、的確なマッチングをされていたことと熊本市社協は県外ボラも受け入れたこと。従来だと土地勘ない県外ボラは直ぐには受け入れしないのがセオリー。今回も地域限定ボラがほとんど。そんな中、県外からよくぞ決断してくださったと思った。全国社会福祉協議会の自粛モードとは真逆に全国から募った形だ。現場で必要であれば積極的に発信してもらうことで、行きたいと思っている個人ボランティアも決断できる。
実際に現地入りして、メディアの自粛話しは何なんだと思うくらいにボラが足りてない地域はあったし、災害物資の車を邪魔することもなくボラは活動されていた。

新幹線も熊本までつながったので、これからが大切になりそうです

熊本地震ボラの前夜

先週末、熊本に入り災害ボランティア参加してきました。

発生直後から被災地する予定でしたが、今回も素人ボラの『慎重論』が
メディアを賑わせました。
ボラ関連を統括する全国社会福祉協議会も慎重論を打ち出しました。

私は今まで震度7の被災地に個人で入りましたが、現地に入ると必ず必要なことが見えます。
私が阪神大震災で経験したことから考えても、慎重論者も必要だし、現場主義者も必要です。

東京の安倍首相の発言も大切ですし、どんどん向かっている現場向き災害NPOの行動も大切です。
私は現場に入ってすべきことがあります。

ボラセンの初日にタイミング良く熊本入りしましたが、ボラセンがやっていなくとも私は
被災地での活動をしていたかもしれません。

介護と子育て進行中の身でしたが、
『何を悩んでいるの?今回はただボランティアに行くのではない。
私たちの親戚がいて、先月お世話になったばかりの地域。行けるときに行かなきゃ』
という妻の後押しもありました。

過去の大規模災害被災地入りのときも後押ししてくれた理解者。
留守中、家を守ってくれてありがたい気持ちでいっぱいでした。

私ができることを現地で判断し、できる範囲でさせていただきました。
被災地の役に立っているのかなんて考える余裕はありません。
ただただ自分の気持ちと向き合う日々。


20年以上経過した今も阪神大震災でお世話になったことが私を動かしています。
きっとこらからも同じかもしれません。


様々な復興支援があります。
募金や物資、九州の物産を購入すること。
落ち着いた時期がきたら九州に出かけること。どれもすばらしいこと。
様々な支援の考えがある中で私はやはり今までと同様に現場でできる支援を続けようと思います。

私自身の行動で一番怖いのは、自粛モードが強くなり被災地への関心が弱くなることかもしれません。
これからも自分の心と向き合っていきます。

震災丸21年

阪神大震災から丸21年。
月日の流れは早いものです…。
今年も変わらずに子供たちに防災を伝える防災教育を考えていきたいと思います。

今日は今から神戸入りして各地の追悼式に参加してきます。

首都圏でのエレベーター対策

一昨日、小笠原で震度5の地震があり、首都圏でも電車が数時間止まったりでパニックとなりました。都会では毎回ニュースになるエレベーター問題。今回も多くの方が上層階に取り残された状態だったようです。
一番良いのは普段から上層階のビルに行かないことですが、首都圏ではそういう訳にもいきません。
難しい問題ですね。

福知山脱線事故10年

4月25日で福知山脱線事故10年を迎えた。私も普段使う路線なので、他人事ではなく毎年献花台で手を合わせていく。マンションは4階までをそのままの形で残す案が濃厚のようだ。風化しないためにも形を残す意味も解るが、実際に事故現場のマンション空洞に入ると複雑な気持ちになる部分もあり、遺族にとっては反対意見もあるようだ。
JR西のみならず、鉄道関係者すべてがしっかりこの事実と向き合い安全な日々を構築してほしいと願う。
同じ日、ネパール地震が起き一日で1500人以上の犠牲者が出ているとのこと。直接現地には行くことができないが、後方支援を考えていこうと思う。毎年のように大きな災害が起き、地球に異変が起きている中、エネルギーや資源の無駄使いについて、本気で考えていかないといけないと思える。まずは私自身から日々しっかり考えていきたい。

地元のメディア

阪神淡路大震災20年で先月と今月は色々な追悼式に参加してきました。
少しずつ更新していきます。
まずは、地元の追悼式。メディアも結構来ていて、我が息子も新聞に掲載されました。
震災を知らない世代が参加することは大切だなぁと改めて思いました。