29年
2024.1.17
今日で阪神大震災から29年。30年目に入ります。
あっという間な期間。
当時成人式を終え、介護の学校に通っていた私。
学校が始まる朝でしたが、
結局卒業式まで学校が閉鎖されました。
学生生活最後の想い出も
避難所の中でしか記憶に残っていないのですが、
50歳になる今も、生きることを許され、
三児にも恵まれ生活できていることに感謝。
全壊した家はもう空き地ですし、
震災当日は本当にたくさんのご近所、知り合い、
お世話になった先生も亡くなりました。
今は神戸から離れて暮らしていますが、
1月17日だけは特別な日。
昨日は地元で鎮魂歌のイベントに息子たちと参加してきました。
かれこれこどもたちが生まれてからずっとですから15年ほど。
三児が小さい頃は防災施設で勉強したり…
今も残る傷跡で話し合ったり…
学校でも家でも防災食について考えたり…
毎年、毎年積み重ねてきた三児との防災意識。
2024年元旦、能登半島地震。
今は現地に行けないけれど、
息子たちなりの小さな小さな行動として神戸で募金をしていた。
自分の財布から…
いつか、もっと年齢を重ね、行動範囲が広がった時、
積み重ねてきた経験や想いが社会の役に立っていけば
良いなぁと思う。
29年前、当時の悲惨な状況から少しずつだけど、
神戸の街も変化していき、私自身も家族ができ、
こどもたちがすくすく育ったこの期間。
能登を想いながら、1月17日を振り返ろうと思います。
1.17
福知山線JR脱線事故と阪神大震災について、子どもたちと考える時間を毎年とり、つどいには参加しています。三児は震災を経験していないが、何かを感じとってくれると思います。今年で28年になりました。
引っ越してきた姉や母が生き埋めだったこと、家が潰れたこと。南海トラフや直下型地震は三児が生きている間には起きる可能性は高い。コツコツ減災の学びを伝えていこうと思います。
今日は学校給食はアルファ米に豚汁らしい。防災訓練や道徳で震災の話しがあるようです。弊社としてもシェイクアウト訓練と備蓄の確認をします。
私自身も今日はたまたま教員活動。最近の介護養成校は留学生が増え、地震や津波について知らないことも多い。
しっかりと経験を伝えていきたいと思います。
今日もいただいた命と向き合い大切に過ごします。
阪神大震災25年
早いもので震災から25年。昨日から今日にかけて震災イベントに参加中。今朝も夜明け前に起き黙とう。毎年、この日を境いに歳を重ねる。
今日は地元の集団指導があるが、この日くらいは減災についての内容にしてほしい。
ケアマネジャーは災害時のかなめ。
私は全利用者のファイルトップにそれぞれの緊急連絡先、主治医や医療連絡先、
福祉避難場所に最寄りの避難指定場所をまとめている。震災経験上、避難場所の特定をいかに早くし、安否確認を行えるかでその後のサービス提供は変わってくる。
しかし、厚労省も県も市も、今も実地監査への項目義務化(防災マニュアルはつくりないさいとあるが…)は行っていないし、私自身は監査でお伝えしたことはあるが全くの無力である。ダブルケアの講演会の依頼はあるが、この手の研修(介護現場の減災講座)を依頼されたことは一度もない。関わる介護の学校も防災の講義はなく、自主的に担当科目に少し盛り込む程度しかできない。命を預かる介護現場において、とても大事な教育だと私は今もずっと思っている。
それでも身近なことからコツコツ行うしかない。6434名という大切な命が亡くなったこの日。命をいただいている私ができることは、身近な場所で小さなあかりを灯し続けること。自身が風化しない。ただそれだけ。
息子たちの学校では、毎年1月17日は防災食の給食。風化しない取り組みのひとつ。
職場では毎年この日、防災についてまとめる日にしています。減災につながるようコツコツと。東日本大震災前から綴っていたこのブログも1年に1回しか更新しなくなりましたが、細く長く続けていこうと思います。
大阪で震度6弱の地震
今回、震災に被災された方々には心からお見舞い申しあげると共に 復興に尽力されている皆様には安全に留意されご活躍されることをお祈りいたします。
今回の地震、私も結構な縦揺れを感じましたが、震源地ではなかったので普段と変わらない時間を送っています。そんな中でも、ブロック塀等の問題は市に提起してきました。防災の視点では、かなり前から言われてきた問題。痛ましい事故を繰り返さないためにも、各地域で議論の輪が広がることを願います。
茨木市では応急危険度判定が始まりました。時間がかかるものなので該当する方は、早めの申請がよいと思います。
そのほか、交通機関が復旧したりと良いニュースも出てきました。
まだまだ、ガス水道等が大変な地域も多いと思います。早く元の生活の戻ることを願っております。
熊本地震
あれから一年。早いもので、間もなく地元で登録したボランティア活動保険が期限が切れます。
発生直後、すぐに会社社長であり妻でもある相方に相談し、現地の情報収集を始めました。
個人でできることなんて少ない。募金という形が一番というのも心では解っているつもり。
けれど、新潟、東日本大震災と被災地に入り、小さな何かを落としていくという方法も感じています。
熊本は親戚が多い。前月には母の故郷に行ってきたばかり。
現地の方の話しをお聞きし、私自身の震災体験を共有させていただく。
たくさんのご縁をいただきました。
阪神大震災は22年が経過し、メディア含め風化してきていると思う。
神戸の人口150万のうち、震災体験者は半分以下になったと報道がありました。
私は自身でできる活動を通して、命ある限りつなげていきたいと思っています。
個人規模の小さな動きのみですが、これからもフリーに思うままに生きていきます。