2009-10-01から1ヶ月間の記事一覧

つづき

町を歩くと、日が暮れるまで遊んだ公園、通っていた幼稚園や老人憩いの家…。そして、避難していた小学校やコミュニティー施設…。 全部止まっているように感じます。日々の忙しさに忘れがちですが、一年に一回くらいは振り返らないとなぁと思います。

毎年、1月17日

毎年1月17日を意図的に忙しく過ごすようにしていますが、もうひとつ行く場所があります。それは、震災当時あった家の付近を散歩することです。 忘れようとする心と反するように、なぜか毎年散歩します。 当時住んでいた家の後は、今は駐車場になり、跡形はあ…

防災視点…

最近は、災害時にも、飲料が飲めるように自動販売機に設置されているものを見かけることが増えましたね。

そのた

その他、仕事柄、AEDの操作、心肺蘇生法は、震災イベント時などで、定期的に確認をしています。1月17日は、毎年忙しくして、当時の恐怖を忘れようとしています。

その他、当日のイベント

過去の体験でいくと、 『暗闇でけむりに巻き込まれる体験』と『車のジャッキを使い、倒れたブロック壁や自動販売機から救助』です。 どちらも普段は訓練できない内容ですので、とても勉強になりました。

舞子高校防災科のこと2

例えば…『災害時、阪神大震災の被災者(避難所生活者)はペットをどうしていたか?』『高校生が小学生へ出張講師』などなど、毎年面白い内容です。 来年も行く予定です。是非、高校生の防災意識をたくさんの人に聞いてもらいたいと思います。

舞子高校防災科

特に、舞子高校防災科の発表はすごい感動します。 全国で唯一の防災科があります。阪神大震災を風化しないために神戸の公立高校に設置されました。高校生が防災に意識し、住民を巻き込んでいく取り組みを聞いていると、『若くとも、すごい視点で研究されてい…

1月17日

1月17日は毎年震災イベントに参加するようにしています。 神戸では当日たくさんの震災行事があります。私も過去に、神戸の東遊園地での黙祷、ハット神戸でのイベント、防災訓練、舞子高校防災科の研究発表などに参加してきました。災害後10年が経過し、よう…

阪神大震災の振り返りを少し…

自宅防災の前に少し私事を記載させていただきます。 阪神大震災は、お伝えしましたように1995年1月17日、朝5時46分に発生しました。私は毎年17日前日から、恐怖で今も不眠になります。地震が来るのではないか…という不安です。ここ最近は17日だけは仕事を入…

五年前の新潟中越地震の自問自答

五年前の今日、 新潟中越に行くことを決めた私は、現地の情報変化を入れるため、とにかく寝る時間も削り、現地情報を入れ続けた日でした。 余震も大きく、はたして現地入りは間違えではないのかという自問自答が続いた数日です。

新潟中越地震

新潟中越地震から、今日で五年です。 新潟へのボランティア活動を決意したのが、五年前。時間の流れは早いです。 今朝もニュースで特番が組まれておりました。もう一度普段の防災を見直さないといけませんね。

新潟中越地震ボランティアで学んだこと

新潟では、ボランティアの力よりも地域力が強いと現地にて感じました。 自分達で何とかしようという意識が本当に強く感じました。減災するには、日頃の防災準備と、地域力と言われておりますが、新潟中越地震ボランティアで感じたからこそ、まずは家の防災に…

家での防災

自宅防災も以前にいくつか紹介させていただきましたが、新しくブログを読んでくださっている方もいらっしゃるので、改めて写真を次回より掲載してみます。

新潟中越地震ボランティアで学んだこと

新潟中越地震ボランティアの後も定期的な防災の情報を得たいという気持ちが強くなりました。 また、当時から、いつかは防災福祉の研究をしたいと思うようになりました。 今の会社に小さいながら、『防災福祉』の事業を入れることができたことは、当時の思い…

新潟中越地震ボランティアから…

新潟中越地震ボランティアの体験から、職場外の防災にも目がいくようになりました。 まずは、地域にある防災ボランティアセンターに登録しました。 そこでは、東海地震に向けて取り組んでいるリーダーさんと知り合いになり、たくさんのことを学びました。特…

新潟中越訪問

新潟中越地震ボランティアでは、震度7の地震は阪神だけのものでなく、いつ起きてもおかしくないということを植え付けられました。そこから我が家の防災は加速していきます。 写真は、1995年1月17日阪神大震災時の自宅と通れなくなった道

新潟中越地震ボランティア

二回の新潟中越訪問から感じたこと。阪神大震災との違いは、まず地元自身で復興したいという気持ちが特に高齢者には見られたこと。 強い力だなぁと思った。通信機器が進化したこと。ネット、携帯電話等、阪神大震災とは情報の量が違うと感じた。防災のありか…

第2陣防災ボランティア

事前に打ち合わせが出来た施設に入らせてもらい、利用者さんのマッサージなどを行い、私自身は足浴をさせていただきました。 お疲れあるスタッフさんにも、ボランティア活動を行うことができました。 この交流は、お互い様の精神で、いつか大きな災害が起き…

第2陣防災ボランティア

第2陣では、賛同いただいたリハビリスタッフ、社会福祉士が増え、7名で向かうことになりました。 また、長い道のりのはじまりです。

第二段ボランティアのこと

施設介護は、ご周知のとおり、変則勤務です。 災害時においては、出勤できないスタッフもいるため、出勤者はかなり過酷な労働になります。更に、緊急避難高齢者も入居するわけです。 みんな一生懸命に現場を守ります。だから、スタッフにも肩たたきをしてあ…

第二段ボランティア

前回、避難所をまわった私達の次の目的は、福祉施設の利用者さんへ肩たたき、マッサージでした。そして、職員さんにも疲れを癒してもらおうと思っていました。

新潟中越地震後のこと

新潟中越地震ボランティアに行ったあと、ひょんなことから、地元新聞の取材がありました。 はじめて、新聞に載るという、予想外でびっくりしました。当時働いていたデイサービスの利用者さんからもたくさんお声をいただきました。 そして、第二段のボランテ…

新潟中越地震ボランティア

その後、被災中心部をまわり、スタッフよりいただいた救援物質を置いていきました。そして、新潟を離れる前に、営業していた喫茶店に寄りました。 お金を現地で使うという視点もとても大切なことです。災害時はボランティアばかりに頼ると、街は復興が遅れる…

新潟中越地震ボランティア

新潟に着くまでの道はガタガタ。着いてからも震度5クラスの余震ありました。 私たちは、はじめボランティアセンターで登録しましたが、阪神大震災の経験者ということもあり、割と自由にさせてもらいました。 まずは、十日町の避難所に入りました。 そこで、…

中越地震ボランティア

肩たたきマッサージ隊の看板を車に入れ、職場から借りたワゴン車で四人は出発しました。当時、私はあいちから新潟までの距離をしらないまま、『行きます!』といいました。しかし、調べているうちに、高速道使っても、8時間位かかることをしりませんでした。…

肩たたきマッサージ隊

リハビリスタッフがいることはとてもありがたいことでした。震災直後としばらく後では、支援方法が変わるからです。肩たたき隊、これは阪神大震災で私が実際に避難所生活でみた、有効なボランティアです。 『私はできることはない。でも肩位はたたけます。』…

新潟中越地震ボランティア

いきたくてもいけない人の思いも込め、色紙いっぱいにスタッフ、職場のデイサービスのご利用者さんに想いを綴ってもらいました。出発は地震発生後、一週間ほどでした。 その期間は、現地の情報収集をネットから得ていました。現地の災害必要物品は、日々変化…

新潟中越地震ボランティア2

院長は、ノーとは言わず、私を自由にしてくれました。 当時法人の防災担当に声をかけ、準備を始めました。 最終的にはリハビリスタッフ2名も現地入りを志願してくれました。 (実は、その他様々なスタッフが、私も行くと声をかけてくれました。診療所の院長…