唐突ですが、「思い出での食事」って?

と、学生に聞くことがあります。そうすると、返ってくる答えのキーワードとして、高額や美味しい食事よりも、大人数での食事が思い出として挙がることが多いです。それは、誕生日に家族と過ごした食事であったり、友人との記念日であったり…。決して金額ではなく、演出や環境が食事を美味しくしていることを感じたりします。

この時期になると、私はどうしても思い出す「食事」の出来事があります。
私が生涯「一番おいしい食事は?」と訊かれたら、間違えなく答えるのは、
阪神大震災の翌日に食べた出前のラーメンです…

1月17日、阪神大震災で、家屋が全壊し、身体が凍える中、避難所に向かい、前日から何も食べていなかったはずなのに、その日の昼食で出た牛乳とパンも、全く食べる気力もなく、そのまま晩を迎えた。

数時間家屋に埋まっていた姉が、「頭が痛い」と言い出したのは、その頃。

大阪から上の姉夫婦が迎えに来てくれ、到着したのは震災発生から20時間。片道15時間以上の道のりだったそうだ。
そして、姉の頭痛は神戸市内では処置する病院もなく、県外に出ることになる。

※後日、頭がい骨骨折という診断があり、早期に大阪に出たことで、姉は今も生きている

1月17日未明、再び大阪方面に車を走らせた姉夫妻。尼崎を出たのが翌朝だった。西宮を抜けて、尼崎の街並みがあまりにも普通だったのにも驚いたのだが、そのことも後から振り返るとそう思うだけで、当時はなぜか景色がすべて白黒で映し出されていた。

翌日の夕方、ようやく姉夫婦の家に到着し、白黒映像がカラーに切り替わったような気がした。そして、出前でラーメンを頼んでくれた。

実に二日ぶりの食事。

それまで、何も食べたいとも思わなかったが、家に着いた瞬間、生きている実感が出た。鼻水と涙をこぼしながら、すすったあつあつのラーメン。家族みんなで囲みながらのラーメン。言葉は交わさず、ただただ、ラーメンのすする音。

これが、私の生涯で一番おいしかったラーメン。思い出の食事。

どこのラーメン屋なのかは今ではわからないけど、今後どんなに高級なラーメンを食べたとしても、あの時の味を超えることはない。物欲がないと知人に言われることもあるが、こんな経験からだと思う。お金は全部なくなったけど、家族が生きていることが奇蹟だった。今でも生きることの贅沢を感じている。

1月17日が近くなると、ふとあの日のラーメンを思い出す。