震災、心の傷跡。提訴相次ぐ。

女川の銀行 遺族提訴へ
東日本大震災七十七銀行女川支店の行員らが犠牲になったのは、同行が安全配慮義務を怠ったためとして、行員はスタッフ3人の遺族らが総額約2億3千万円の損害賠償を求めて提訴することを決めたという記事が、9月9日朝日新聞の朝刊に掲載されていました。
当時の支店長が2階建て視点の屋上避難を行員らに指示。13人は屋上に集まったが、津波が屋上まで達し、4人が遺体で8人が行方不明となっている。遺族側はより安全な「指定避難場所」に行くべきだったとして、労働契約上の安全配慮義務を怠ったと主張。幹部に十分な防災教育を行わなかったとして、銀行の災害への事前準備が不十分だったと指摘。
その他、朝刊には、職場での避難行動をめぐり、雇用主の責任を問う訴訟が相次いでいる。
自動車学校のアルバイト女性の遺族が「片づけのため残るよう指示された。上司の指示なく非難できない状況だった」として学校側に損害賠償請求、多賀城市ファミリーマートではアルバイトの女子高生の遺族が雇用者側の責任をめぐって訴えを起こしているという記事もあった。

震災直後、東北人気質として、我慢強いという部分がクローズアップされた今回の震災でしたが、1年半を過ぎ、様々な問題が浮き彫りになってきているのだと思います。

特に、企業や学校などの防災意識の弱さが取り上げられています。「あのとき、こういう行動をしていれば」という言葉をニュースで何度も聞くたび、ぶつけどころのないジレンマを感じます。訴訟に対して、双方の立場で賛否があると思います。
企業側、トップの防災取組みがもっとあれば…という考えの方が多いですし、訴訟をした遺族からすると、当然の行動かもしれません。一方、企業側からすると、トップだけの力では防災対策はできませんし、従業員ひとりひとりの防災意識はどうだったのか…と考えているかもしれません。
今考えられることは、残された者として、今後同じ悲劇が起こらないため、企業は安易に会社を大きくするのではなく、まずは防災ありきで事業展開をしていくべきだと思います。
私の関わる介護事業も、どんどん施設を作っている会社がありますが、そこには防災対策がなかったりします。監査で決められた定期の避難訓練だけ行っているという話しも聞きます。今回の地震により、それだけではダメということは分かったのですから、まずは命を預かっているという視点に戻り、毎月でも何らかの防災企画をした上で、新しい施設をつくる必要があるのでしょうね。それでないと、上記のような訴訟問題に発展していくのだと思います。また従業員としては、自ら防災部署をつくるくらいの意見を言っていくべきなのだと思います。自分自身の命を守るためにも、会社の防災不備は、自分が行動して変えていくしかないのだと今回の記事で強く考えました。
小学校の教員側の避難誘導についても、やはり同じことが言えます。私自身も子どもがいる立場ですので、その立場として考えられることは、子どもが通う学校の防災マニュアル等を家族としてしっかりと意識し、学校側に防災不備がある場合、積極的に改善を促そうと思います。それでも改善しない場合は、自らの判断で行動するしかありません。今回の震災でも、学校の反対を押し切って親が子どもを連れ出し、避難させたという話しも出ています。親の立場として、今できることを考えていきたいと思います。今回の震災で、たくさんの方が犠牲になり、過去に戻ることなんてできません。生かされている者として、できることは悲しむ人が減るために「それぞれの身近な防災」に真剣に取り組むことなのだと思います。私も阪神大震災で生死をさまよい、生かされた一人として、これからも小さなできることを始めていきます。

今回の記事からは、本当にたくさんのことを考えさせられました。