京都の送り火

陸前高田市の松でつくった薪を京都五山送り火にて燃やす計画が、放射線の影響を不安視し中止になりました。
これに対して、3日間で避難や抗議が300件以上とのこと。
いわゆる風評被害による中止ということで、大問題に。
私は京都市民でもなく、被災地にもいないため、簡単にはまとめれない問題ですが、客観的にみると送り火保存会側には「みえない不安」、高田市当事者からは「怒り」が生まれています。歩み寄らなければこういうことは起こりうるでしょうし、被災地の祈りを込めた薪を無駄にしたことに対して抗議は当然のことだと思います。
そんな中、実は今回の企画者大文字保存会理事長は現地入りしており、今回の保存会の決断に謝罪をこめて丸坊主。一方、被災地住民で薪メッセージを呼びかけた方と一緒に地元で薪を燃やしたとのこと。その被災地代表の方のコメント「抗議が殺到していると聞いて複雑な気持ちだ」と語ったとありました。
実はマスコミが騒ぎすぎていますが、当事者同士は静かにメッセージの薪を地元で迎え火として燃やしたということ。
いつの時代もマスコミ情報というのは断片でしかなく、それにあおられて洗脳される場合もある(松本サリン事件等)。見出しでは「送り火拒否」の見出しばかりをマスコミが取り上げていますが、そのもっと小さな記事(当事者の気持ち)から考えることも大切ではないだろうかと思いました。答えは常に現場にあるということなのかもしれません。


「抗議が殺到していると聞いて複雑な気持ちだ」
被災地主催者のこの声が今回の騒動を一番物語っているように思いました。