はじめに5

15年前のあの日。

姉は近所の人に助けられて、家族は遅れて避難所へ。
既にたくさんの人でごったがえし(この件では、グループホーム等小規模福祉施設が半壊したときの避難所確保という視点で考えさせられました。今は特養ホーム等との連携が整備されてきてますので、方法はたくさんありますが。)、避難所は後から来たものは入れない現状がありました。
私達は引き返し、近所のコミュニティーセンターへなんとか入れてもらいました。
昼すぎから姉が『頭が痛い』と言いました。

病院は当時、内部傷害は見ることができない程、戦場となっており、私達は、なんとか大阪の病院で診察を受けました。大阪出れたのは翌日の夕方でした。
姉の診断名は『頭蓋骨骨折』でした。
来るのが遅く、神戸に残っていたら危なかったとドクターが言いました。

まだまだ細かな話しはありますが、私の15年前のできごとです。

それぞれの震災がありますね。